r_u_x_n_a’s diary

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人間、この非人間的なもの2

前回の続きです。

 

前回を見ていない方は下のリンクから見てください!

 

人間、この非人間的なもの - r_u_x_n_a’s diary

 

 

それではさっそく問い(四)を見ていきましょう。

 

8.問い(四)

 

著者は「人間、この非人間的なもの」という表現を通して何が言いたかったのか、全体を踏まえて説明しなさい(50字以内)。

 

この問題は要約の問題になります。

 

要約の書き方は全体の筋道を把握し、再構成することです。主な手法として、対比関係を把握することが多いです。

 

それは評論の文章の構成として弁証法的な論理で書かれることが多いためです。

 

〈Aである。〉一方で、〈B である。〉したがって〈C である。〉という感じです。

 

 

では今回の問いはどうなるでしょうか。

 

今回の評論は〈人間的〉と〈非人間的〉の対比構造になっています。

 

著者の主張の流れを本文から抜き出すと以下の流れのようになると思います。

 

 

「人間は、人間そのものが未完で」あるため、「人間は、人間的という言葉の外縁を無限に拡げつつある」。

 

 

「人間は、人間的という言葉に呪縛されてはならない」

 

 

「私たちに可能なことは、(人間とは何かという問いに)限りなく問い続けることですし、それに答えることは、新しい問を準備するためでしかありません」

 

 

「人間的と呼ばれるものは、私たちを呪縛するためにあるのではなく、私たちが、人間の認識を高めるためにだけあるのです」

 

 

以上の内容を踏まえつつ、50字で内容をまとめましょう。

 

 

【解答例】

人間的、非人間的という人間観の枠組みを越えて、無限定的な人間への認識を高めるべきであるということ。(49字)

 

 

字数が50字と少ないため、最小にまとめる文章力が必要かと思います。

 

相同表現、対比が多く、わかりやすい一方でまとめにくいというような文章であったかなと思いました。

 

 

9.人間とは何かと言う問い

 

「人間とは何か、人間的であるとは何か」という問いかけは、人間論の根源的な問いかけであると思います。

 

人間とは何かという問いには2つの方向があります。1つは「人間(私)とは何か」という内側への問いかけであり、もう1つは「人間とそれ以外(動物等)の違いは何か」という外側への問いかけです。

 

ニーチェは「ツァラトゥストラ」のなかで「人間とは、乗り越えられるべきものである」と定義しています。人間を超えた存在を「超人」としていますが、私たちは人間である限り人間であるため、人間的という言葉が無限に認識されるのみである。

 

私たちが「○○的である」と使うのは、対象が一定の不変的な存在であることを前提にしている。しかし、それは対象を認識する者(私たち)の共通認識に基づいたものである。ある一瞬を切り出せれば、その一瞬においては、大半の対象は「○○的である」という言葉の境界が閉じられるため、共通認識を得られるだろう。その一瞬においても私たちは「人間的」であるという言葉について共通認識をはたして得られるだろうか。

 

それを人間は多様性というのかもしれない。

 

 

 

続きはどこかで議論しましょう。

 

最後まで付き合っていただきありがとうございました(「・ω・)「

 

 

それじゃグッド・バイ。

 


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