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議論、趣味、その他

反出生主義(「現代思想」戸谷洋志)

 反出生主義とは、「人間は生まれない方が良い」とする立場の総称である。デイヴィッド・ベネター(David Benatar)の著作「Better Never to Have Been(2006)」にて有名になった。ベネター以前にも、反出生に関する思想は幾度となく登場していた。例えば、ニーチェは『悲劇の誕生』の中で「アポロン的文化の基底」として「生存の恐怖と驚愕」や「苦悩をかみしめる無類の能力」を指摘している。ショウペンハウアーは『意志と表象としての世界』の中で物自体を「生への意志」として捉える。現象界において人間は、空間・時間・因果律によって意志が欲望へと変化するため、数え切れないほどの苦悩を経験しなければならない。それ故に苦悩からの脱却は生への意志の否定しかないとする。エミール・ミハイ・シオランは『生誕の災厄』において生誕を「一切の苦難の源」と位置づけ、その意味では「災厄」と解釈する。生誕は「私」の「始源」に先立つ「始源一般」である。この世界が始まらなければ、この世界にはいかなる災厄も生じなかったのだから、この世界そのものが存在しなければよかったのだとする。

 ベネターの思想の独自性は「道徳的義務としての反出生主義を基礎付け、普遍的な妥当性を説明しようとした」点である。ベネターはある人物における生まれていた場合と生まれていなかった場合を経験的に比較は不適切であるとし、「快楽と苦痛の非対称性」に着目する。

 

(1)苦痛が存在しているのは悪い

(2)快楽が存在しているのは良い

(3)苦痛が存在していないことは良い…*1

(4)快楽が存在していないことは悪くない…*2

 

(3)~(4)において苦痛と快楽の不存在に非対称性があると指摘している。(1)~(2)が両方存在する状態は互いに拮抗し相殺されるが、(3)~(4)は拮抗しないため相殺されず、総合的に良いと結論される。人間は生まれてくると必ず苦痛を経験すると仮定する場合、人間は必然的に生まれてこない方がより良いと言える。

 ベネターへの反論として「生まれてこないことは本当に良いことであるといえるか、快楽を経験する機会が奪われているのではないか」や「生まれてきたからといって必ずしも苦痛を経験するとは限らない」と反論することができるが、成功しない。これらの論証によってベネターは論理的帰結として、道徳的義務としての避妊、人工妊娠中絶、段階的な人類の絶滅を提案する。当然、すでに生まれてしまった人間に死ぬことを要請するものではない。

 

 

*1…続けて「それは、たとえその良さを享受している人がいなくても良い」

*2…正確には「快楽が存在していないことは、こうした不在がその人にとってはく奪を意味する人がいない場合に限り、悪くない」