r_u_x_n_a’s diary

議論、趣味、その他

絶対はあるのか?

第1回目のテーマは「絶対はあるのか?」について議論していきたいと思います。

 

私の意見の結論は…

「絶対」はあります。

 

なんかST○P細胞みたいな感じになってしまいましたね…。

 

テーマが大変抽象的でイメージがしづらいところはあるかと思いますが、ついてきてくださいね?

 

1)絶対とはなにか?

そもそも「絶対」ってなんでしょうか?

 

絶対とは「何ものにも制限されず、関係をもたない」ことである。私たちも日常で「絶対間違いない」とか「絶対○○を達成する」とかよく使いますよね。使っている意味としては「それだけしかない」、「他の可能性がない」ことを指しています。

反対の語としては「相対」となります。相対とは「他との比較で決まる」とか「これだけというわけてはない」という意味で使われることが多いかと思います。

 

2)問題の所在

ここでの議論の対立軸は「絶対主義(※1)」と「相対主義」となります。(※1 政治学上、芸術学上の意味ではない。)

 

絶対主義はある特定の価値観、基準、存在を認める立場であり、相対主義は価値観、基準、存在が他者との相対関係、相互依存関係において成り立つとする考え方といえるかと思います。分かりづらいと思いますので例を挙げます。

 

例えば「可愛い人」ってどんな人ですか?

 

絶対主義においては可愛いの絶対的な基準があり、それに当てはまる人が可愛い人となります。相対主義においては可愛いは他者との関係で決まります。「AさんはBさんより可愛い」と言う感じです。

 

まだ曖昧な感じではあると思いますがイメージは湧いたでしょうか?

 

さて本題の「絶対はあるのか?」という問いに応えていきたいと思います。

 

ここで「絶対はない」としましょう。

 

「絶対にない」と言う立場は相対主義です。

みなさんは「絶対はない」と絶対に言えますか?

 

ちょっとややこしいことになりましたね。

 

「絶対にない」という立場を正しいとすればその立場は絶対に正しくないのです。

 

よく似た事例では「うそつきのパラドックス」というものがあります。「私はうそつきである」が本当であると私はうそつきではなくなってしまいます。

 

この状態をパラドックスといいます。

 

つまり「絶対はない」という立場、つまり相対主義を採用すると自己反駁に陥ってしまうということになります。

 

3)でも絶対はあるの?

「絶対はある」という立場は先程のようなパラドックスは起きませんが、文化や社会の分野においては相対主義が採用されることが多いように感じますよね。

「特定の文化がよくてそれ以外はよくない」という意見は受け入れ難いようにも感じます。

「みんな違ってみんな良い」というのは素晴らしいことですが、議論の上では何を善いとするのか、何を正しいとするのかを考えなくてはいけません。

 

私たちは真理を知らないため、(虚構としての)「絶対」を認めなければならない、といのが私の意見です。