r_u_x_n_a’s diary

議論、趣味、その他

動物について①

第2回目のテーマは「動物」について述べたいと思います。

 

ずっと前から気になっていたテーマですので、今回は長めになるかと思います。

よければ最後までお付き合いしていただければと思います。

 

1)動物と平等

私たちは「平等」というものを当たり前のように感じているかと思います。しかし、歴史を振り返れば、「平等」の実現は現在においても未だに続く切実な問題の一つではないかと思います。人間の社会においても奴隷制度や白人至上主義、男尊女卑などがイメージできるのではないでしょうか。特にSOGI(Sexual Orientation,Gender Identity:性的指向性自認)を巡る問題は近年頻繁にニュースに取り上げられています。

一方で人間の枠組みを越えた平等への考え方を示す人々が中には存在します。それが動物への権利を主張する人です。権利の話は抜きにしても重要なことは平等の範囲をを動物にも拡大しようと考えることです

大変難解ではあるかと思いますがついてきてください。

 

1)檻に落ちた子供とゴリラ

2016年5月28日にアメリカのシンシナティ動物園の悲劇を例に挙げてみよう。

【5月29日 AFP】米オハイオ(Ohio)州にあるシンシナティ動物園(Cincinnati Zoo)で28日、3歳の男児がゴリラの囲いに落ち、この男児を保護するため、ゴリラが射殺された。

多くの人は子供を助けるためにゴリラを殺すことは正しいと思うのではないだろうか。ではなぜその行為は正しいのだろうか。

 

この問題の本質は「なぜ人間は他の動物よりも優先されるのか」ということになります。

 

代表的な意見を以下に挙げます。

 

(1)人間だから

(2)理性があるから

(3)痛みを感じるから

 

大きくこの立場に分かれるのではないでしょうか。違う意見もあるかと思いますが上の意見に含まれているかもしれませんので大目に見ていただければと思います。

 

(1)人間だから

この意見を持つ人も多いのではないでしょうか。人間は人間、ゴリラはゴリラ。その通りだと思います。一方でこれは「種差別(speciesism)」を認める立場となるのではないでしょうか。しかし一方で「人種差別」や「女性差別」は認められるべきではないと考えている人も多くいるのではないでしょうか。私たちは自分と異なる他者との違い―人種、信条、性別、社会的身分、門地や政治的・経済的・社会的関係性、能力、肌の色など―を認めてもどのように扱うかについて差別はしない。動物も他者として認めるならば種差別をすることは人種差別や女性差別と同様に認められるべきではない。

 

(2)理性があるから

理性とはなんだろうか。動物と人間を区別する際に用いられた理性は「感性的欲求に左右されず思慮的に行動する能力」を意味することが多い。人間は動物のように欲望のままに行動せず、理性によって行動している。この意見をもつ方も多いのではないでしょうか。

しかし一方で私たちの中には理性的ではない人間も存在している。意思能力がない幼児や認知症患者、植物状態の人間、精神的に障がいがある人間を私たちは動物とは言わない。また知能が高い動物も中には存在している。チンパンジー、カラス、犬、イルカ、像、豚を私たちは理性的な存在とは言わない。

 

(3)痛みを感じるから

中世の時代には動物は自動機械のように痛みを感じない存在とされたことがある。そのため動物が実験に用いられ、医療や科学の進歩に寄与したことは間違いないと思います。当然、医療や科学の進歩に伴い、動物にも人間と同様の痛みを感じる神経系が存在することも疑いようのない事実と認めることができるかと思います。

なぜ動物が痛みを感じないと思ってしまうのかといえば、言葉として私たちが認識できない点や他者の痛みを自分の痛みとして直接的に感じることができないからである。

しかし、私の痛みを言葉として他者に伝えたとしても、他者はその言葉を理解できるが、私の痛みを直接体験することはできない。私たちができることは経験から推測することであり、痛みを感じていると推測できるならば動物についても認めなければならないのではないか。

 

2)動物と功利主義

動物について利益を最初に図ったのは功利主義の提唱者ジェレミーベンサムJeremy Bentham;1748~1832)です。功利主義(Utilitarianism)は最大多数の最大幸福を道徳原理とする考え方です。諸個人の幸福の総和としての社会全体の幸福を最大にすることが功利主義の目的となります。そのため功利主義は行為についてその善悪を快楽や幸福をもたらすかどうかによって判断します。つまり苦痛は個人の幸福を下げることになるため、社会全体の幸福の総和を下げることになるので悪となります。ベンサムはこの功利の原理を動物にも拡張しています。それは動物が苦痛を感じることができるためです。苦痛を感じることができるならばその利益を配慮しなければならないとするのが功利主義の立場となります。功利主義は多数派に有利な理論でもあると言われます。それは少数の苦痛や犠牲が多数の幸福となればその行為は善であると判断されるためです。

 

 

いったん長くなったのでここで切ります。

後半に続きます。