食べることの哲学
おはこんばんにちは!(`●ω●´)
不評につき、現代文シリーズ第2弾🎉を
やっていきたいと思います!
今回のお題は………
檜垣立哉「食べることの哲学」です。
2019年度の大学入試においては、
注目の文章でありました(勿論、出題箇所は異なる)。
今回、解説していきたいのは神戸大学から出題されたものです。
読んでいない方はリンクに貼りますので参照ください。
↓「食べることの哲学」
https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/jump.php?l=https://nyushi.sankei.com/honshi/19/kb1-31p.pdf
1.作者紹介
檜垣立哉(ひがき たつや)は大阪大学大学院人間科学研究科教授。専攻は哲学。生命倫理学や哲学的論考に注力している。
2.出題大学、難易度
2019年度大学入試においては、北海道大学と神戸大学で出題されています。偏差値は北海道大学が60、神戸大学が62.5です(河合塾)。どちらも高いですね(((( '-' ))))
難易度としては比較的読みやすい文章ではありますが、抽象的表現も散見され相同表現を捉えなければ理解しづらい部分があります。
文字制限もそこまで厳しくないですが、効率よくまとめる力が必要だと思います。
3.食べること
私たちは「一定の間隔をもって食物を摂取」しています。人は植物のように光合成をして自ら栄養を生成することができないからです。私たちが何かを食べるのは「自らが生きるため」に行っているのです。
一方で、私たちは人食(カニバル:共喰)を行うことには強い抵抗感を持っています。動物の中には生存戦略的、合理的に共喰をするものもいますが、人間はそれを行いません。
4.アンパンマンの自己犠牲
アンパンマンをご存知でしょうか?
お腹が空いた友達に「顔(アンパン)」を食べさせてくれるキャラクターです(● ̍̑● ̍̑●)。
飢えている者を救うには食べ物を与えるしかありませんが、アンパンマンは自らの「顔」を食べさせるのです。
「顔」とは人格性(パーソナリティ)を表す部分であり、その「顔」を食べさせることは、自らの肉(人格性はない)や他人の肉を食べさせる行為よりも衝撃的です。
アンパンマンにはもう一つ衝撃的な特徴がある。それは自らの顔が「取り替え可能」であるという点です。
顔は「唯一性」(=人格性)を顕示するものであるのに、「取り替え可能」であるという事態は非常に奇妙な設定です。
アンパンマンのカニバル(自己犠牲)に罪悪感を抱かないのは、アンパンという常識的な形象をしており、再生産されるためであるからです。
アンパンマンは個別的な存在でありながら、その唯一性を顕示する顔を取り替えることが可能であるため、完全に個別性を排除されているわけではない。
5.臓器移植とカニバリズム
人間の個別性は「顔」という器官を除けば違いはあまりありません。現実においてはアンパンマンのように顔を取り替えることは個別性を損ないますが、その他の肉であれば再生産、取り替え、切り捨てることも可能であると言えます。現代テクノロジーの中においては、臓器移植という問題がありますが、たしかにカニバリズムの次元ではありませんが、生きるために他者の肉を自らの身体に取り込むという意味では、類似的行為ではあるといえます。
初期の臓器移植はドナーが亡くなったあとに、臓器を移植したり、あるいは脳死という死の概念についての定義付けを変更することで行っていた。医療技術の進歩によって今や生体移植も可能になっている。この状況はアンパンマン的な状況であると言える。
6.アンパンマンの未来
医療技術の進歩やバイオテクノロジーの進歩によって臓器移植、臓器や細胞の形成によって自己犠牲と自己を救うことの回路が完結した状況(自食のカニバリズム)が生まれる。自己の身体の複製化は私たちの個別性、人格性を解体しつつある。
アンパンマンの作者である「やなせたかし」が思いもしなかった現代テクノロジーの問題をアンパンマンは示唆していたのである。
内容をまとめるとこんな感じでしょうか。
分量も多くないため、相同表現を丁寧に追っていければ問題ないと思います。
次回、設問について解答していきたいと思います!
それでは次回もお楽しみに!( 'ω' و(و"